ありがとう!TVガイド16号 TV連動企画 巻頭特集インタビュー 佐々木 貴さん

2025年12月25日

―自己紹介をお願いいたします
【佐々木】1975年生まれで、今年50歳です。1996年にレスラーデビューして、来年で30周年になります。団体を立ち上げたのは2009年。34歳の時に所属していたプロレス団体アパッチプロレス軍が崩壊する形になり、行き場を失った子犬たちをかき集めて2009年に作ったのがプロレスリングFREEDOMSです。今年で16周年になります。

―プロレスとの出会いはいつ頃ですか?
【佐々木】幼稚園のころからですね。いつもおじいちゃんと一緒にプロレス中継を見ていて、小学生のころには「俺、大人になったらプロレスラーになるんだろうな。なりたいな」と思っていました。大きくなるにつれてパワーというかエネルギーというか、いろんなものを感じるようになりました。とにかくもうスーパーヒーローっていうか、かっこいい。強さへの憧れもありました。

―団体を作るきっかけは?
【佐々木】所属していたアパッチプロレス軍が崩壊して、仲間たちの居場所がなくなったんです。怪我で長期欠場していた選手もいて、復帰の場を作らなきゃという思いが強かった。もう一つは、息子が生まれたタイミングだったこと。「この子を食わせていかなきゃ」という、すごく単純な思いが団体設立の原動力でした。

―団体名「FREEDOMS」に込められた思いは?
【佐々木】前の団体の時も好きなプロレスをやれてるのに自由にやれてないような窮屈さがどこかにあった。もっと自由に好きなプロレスをやりたい、楽しみたいという思いがずっとありました。当時一緒にいたみんなを集めて、「団体作ろうかと思うんだけどみんなどう思う?」って相談したらみんな口を揃えて一緒にやろうっていってくれて。「もう自由でいいんだよ、フリーダムだよ!」って声があがったのがきっかけで団体名が決まりました。フリーダムの複数形、勝手な造語ですけど、FREEDOMS。自由な軍団っていう感じですね。理念を掲げたというより、みんなの自然な思いが団体名になった感じです。

―その思いが団体の結束力にもつながっている?
【佐々木】そうですね。同じ苦労をしてきた仲間だからこそ、嬉しいこともつらいことも一緒に乗り越えてきた。だから、ネガティブに離れていく人はいないんです。

―進祐哉さんがメジャー団体に移籍した時は?
【佐々木】痛かったですけど、彼の選択を尊重しました。自由の団体の中で生まれた彼の願いを否定することはできません。僕自身も鶴見さんのところでデビューしたあと、もっと有名な人と試合してみたい、もっといろんなところで活躍したいという思いがあって団体を渡り歩いてきました。だから彼の挑戦を止めるわけにはいかない。ステップアップを目指しての決断を自分の都合で止めるわけにはいかないですから。でもまたFREEDOMSに出たいと言ってきてくれた時はウエルカムで迎え入れました。また一緒にやろうって。

―団体を経営していく上で一番大変だったことは?
【佐々木】一番…常に大変です(笑)。そんな中でも、これって損だよなってわかりきっていてもお金には代えられない大切なことがあります。

―コロナ禍での興行継続は大きな決断でしたね。
【佐々木】東京都から「興行は控えてほしい」と言われていた時期に、どうすれば開催できるかを自分で調べて、感染対策を徹底した上で興行を実施しました。観客100人以下の制限で赤字確定でしたが、選手の「試合がしたい」、お客様の「生で観たい」という思いに応えたかった。その結果、選手やファンからの信頼を得ることができたと思います。

―チケットを取れなかった人もいましたか?
【佐々木】いたと思います。だから試合を中継させてくれという引き合いが結構ありました。でもコロナ禍で一番支えてくれたのはニコニコプロレスチャンネルさんだったんです。放映料のこともありましたがこれまでずっと一緒にやってきたところを優先したかった。結果、損得じゃない部分で選んだことで後々につながる信頼も得られたと思っています。コロナ対策をしながらの興行スタイルを構築できた経験は大きかった。

―でもあの後お客さんが増えましたよね
【佐々木】プロレスを見て面白いこと楽しいことが一番だと思いますが、それとはまた違う信用を得られた、ここはついて行って大丈夫と信じてもらえるきっかけは作れたと思っています。

―プロレス業界の良いところ、課題とは?
【佐々木】大企業がついている団体では大きな団体なりのものを見ることができるし、何もバックについてない自主興行だからこそ見ることができる面白さもある。FREEDOMSは大企業はついてないけど寄せ集め、かき集めの自主興行でもない。どっちでもないところって意味では、立ち位置は例えるなら中小企業というか、中小プロレス興行会社。業界のそんな幅広さがあって、本当にいろんなものを見ることができるというのは面白い、いいところだとは思います。

―これからのプロレス業界のあり方は?
【佐々木】プロレスのファンっていう限られた人数をいろんな団体で奪い合うのではなく、理想としてはやっぱりいろんなところからたくさんの方に興味を持って見に来てもらうのが大事だと思います。本当にプロレスが大好きで、この選手がピンポイントで好きでみたいな、そういうコアなマニアなお客様を集めているだけで満足していたら、そのうち限界がくると思います。

―佐々木選手にとって理想の興行とは?
【佐々木】小規模会場だったら小規模なりの良さ楽しみ方っていうのはもちろんあるのでそれはそれでいいと思うんですけど、定期的にビッグマッチを開催することが大事だと思っています。ビッグマッチだからこそメディアがいつもより多い、普段見に来ない人も見に来る、音響、照明、映像など、いろんな業者さんに協力してもらって、ちゃんと報酬を支払う。選手にも多めに給料を払えて、お客様にも満足してもらえる。皆がWIN-WINになるものを作り上げるのが興行、特にビッグマッチとしての意味だと思うんです。関わった人みんなが報われる場を作るのが理想です。

―ビッグマッチの後はほっと一息?
【佐々木】社用車で事務所に戻るまでの間、嫁とずっと反省会です(笑)。現場のミス、受付の課題、人員配置の見直しなどを話し合って、次に活かす。その時間はすごく大事ですね。

―PDCAを回しているのですね。経営者として大切にしていることを教えてください。
【佐々木】俺は偉いんだ、俺がトップなんだっていうのを見せない、感じさせないように気を付けているつもりです。現場で一番動いているのが社長で、周りのみんなが、じゃあ俺も頑張るかという空気を作りたい。旗揚げ直後、地元・岩手の大企業の社長さんに「社長がふんぞり返ってる会社はすぐ潰れるぞ」と言われたことがあって、それは今でも肝に銘じています。

―選手の育成・キャリアについて考えていることは?
【佐々木】本当に自分と同い年ぐらいの五十とかのベテラン勢はとりあえずほぼ自由にさせているつもりですが、三十代の選手には、責任あるポジションを与えて、組織の中で「ここは自分の担当だ」と自覚できるようにしています。ただ、変なプレッシャーは与えない。ミスがあっても最終的には僕が責任を取る。そういう安心感を持たせながら育てているつもりです。

―ご自身の今後については?
【佐々木】体も万全ではないですし、経営スタイルもずっと走り回る形なので、あと5年くらいが一区切りかなと思っています。世代交代は必要だと思うし、新しい価値観を持った選手が現れて、全く違うFREEDOMSができるのも面白いと思っています。

―団体のスタイルも変わっていく?
【佐々木】うちは〝デスマッチ団体〟って言われることが多いけど、僕自身はそう定義してた覚えはないんです。もちろんデスマッチはうちの強みだけど、それだけにこだわる必要はない。むしろデスマッチの色を消す新しい誰かが誕生してくることを僕は楽しみにしています。それこそ自由軍団なんで。

―ありがとうございました。

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